2015/06/07
なんで生きているんだろうと思うことはたくさんある。
何かことが起こるたびに、自分の思考の良くない部分にぶちあたって、勝手に絶望したり憂鬱になったりしている。そんな日々をもう何年も続けている。
そうした救いようのない日々の中で、自分が無能でつまらない男になっていくのを実感する、そのループだ。
つまらなくたっていいんだ。
自分の頭で、この嫌で仕方ない思考と一緒に、認めながら生きないと、それ以外に方法がない。
好きな人のアヘ顔
自分の頭で、行けるところまで行きたい。
誰かに証明する必要なんてないんだ。自明的なことをあえて説明すると、説明できない部分が見つかった時妙にあせるから。
頭を働かせて、感情的にならずに、自分の中のものと戦いたい。
本当に嫌なものは自分の中にあるってことはわかっている。
他人じゃない。
他人も確かに腹がたつけど、いつまでもそれを掴んでいるのは自分自身なんだ。
離せばいいのに、家に持ち帰らなければいいのに。
己を味方にして外部を乗り越えていくことが当たり前だと自分は思っているが、自分はまだ己を味方にするどころか、己の思考によって、不要な苦しみを発生させている。
頭を使え。頭を使うことを恐れるな。本気で立ち向かえよ。
今本気にならなかったら、自分は人生を諦めそうだ。
対象が自分でもわからない。
何に気をつけるんだ。
具体性を欠いているなら、それは安心していいことのはずだ。
派生系を考えるのではなく、そこで止まったことをラッキーと思いたい。
針小棒大的思考だから、そこを治す。
そうかそうか。
自分はかなりモノを考えないで生きてきてしまった。ここから変えていく。そしたらとんでもないところまでいけるかもね。
何かをやるとき、ただ頑張ろうと思うんじゃダメだ。
むしろ、頑張らなくていいんだ。人の目なんか意味がないんだ。
何かを終わらせるには、何かを終わらせなくてはならない。この当たり前の事実を受け入れずに、頑張ろう、とか俺は考えていた。
頑張らなくていいから、終わらせる方法を淡々と見つける。
現実に適応していくってたぶんそういうことだ。
自分を治すのにがんばり、はいらない。というかこの世に存在するすべての頑張りは、頑張ることを盲目的に考えている限り、それは頑張っている姿を他人に見せることか目標になるから、報われない。
頑張らずに、頭をつかう。