インプット・アウトプット・深呼吸・うつ病は死ね
自分が成長したな、と思えるのは、意味のない、自分の「気持」についての冗長なアウトプットをしなくなったことだ。
この文章自体が冗長じゃねえか、というところもあるけれど、これは俺が好きでやっていることだから、容赦願いたい。
突き詰めれば、「真っ白な気持ち」は存在しないんだと思う。自分は、「真っ白な気持ち」を追い求めていたんだけど、無駄だった。
なにか、否定的な気持ちも、文章にすればなんとかなると思っていたけど、なんにもならない。
体調と、性欲の度合い、何かしなければならないことへのストレス がすべてだ。
体調と、性欲は、常に変動するから、この時点で、「安定した心」は望めない。
最近思うのだが、インプットとアウトプットが適正に行われたとき、人間は「不安定な中でも」安定できる。リラックスできる。
例えば、英語の翻訳や語学の学習は、夏目漱石や村上春樹も、「精神が落ち着く」と言っている。
これは、たぶん、例えば英語なら、英語という情報がインプットされて、それを日本語に直す、というアウトプットが行わるからだと思う。たとえそれが正確に行われなくても、インプットとアウトプットの方向を志向するだけで、少しはよくなるんだろう。
例えば将棋。
精神的や人格的に終わっていても、将棋をしている人は結構いる。
これも、相手の一手のインプットに対して、自分が一手さす(アウトプットする)というものが、行われているから、リラックスできるんだと思う。
まぁ、オセロもチェスも囲碁もそうなんだけどね。将棋のほうが味わい深いと思う。
もっと言えば、深呼吸は、「吸気」というインプットと、「呼気」というアウトプットが連続している。これに集中すると、リラックスができることは、みんな知っている。だけど、あんまやらない。簡単すぎて忘れちゃうからだろうね。
でも俺はちゃんと深呼吸をする。ことにした。今日から。
仏教では、古くから深呼吸による瞑想があるけど、俺と同じくらい頭のいい人が考えたんだろうな。
そんで、最初の話に戻って、なんで冗長なアウトプットがだめなのかというと、インプットに対応していないから。
アウトプットだけしても、安定しない。
そこをわかっていなかった。
もっと、心をケミカルに、デジタルに考えないと。
「心そのもの」がないにもかかわらず(「混じりけのない、安定した心」の存在を証明できない)「心そのもの」が手に入らなくて苦悶する、という糞バカ状態に陥る。
それは嫌だ。
インプットとアウトプットが、すべてだ。
うつ病の人に対して、俺が笑ってしまうのは、明らかに怠けているからだ。
めちゃくちゃ筋トレしているうつ病の人見たことない。
筋トレは「重みを感じる」というインプットと、「それを支える」というアウトプットが、考えなしに行われるから、安定した状態を作れると思う。
そんで、なんでうつ病の人が筋トレしないのかというと、これは面倒くさいから。
外に出るのが面倒くさい、運動するのが面倒くさい。
これがすべて。
結局うつ病の人は、面倒くさがりの雑魚です。
その面倒くさくなってしまうのがうつ病だ、という反論に対しては、怠けものとどう違うのか証明ができないね、といって、論破しましょう。
脳の物質が~とかいうやつに対しては、反論する元気あるなら、お前脳の物質に抵抗できてんじゃん、死ね、と言いましょう。