2015/03/19

洗脳から逃げろ
大きすぎる洗脳体系を、自分の頭の中に作ってしまっている。
正面からぶつかっても、どうにもならない。傷が増えるだけだ。

子供のころ、人を笑わせると嬉しかった。それをより味わいたいと思って、お笑い芸人になろうと思ったりもした。

だけど、それは他人の奴隷になろうと自分の脳を洗脳するだけだった。

他人に言いたい言葉だけ集めてどうする。自分の中で、糧になるような言葉が必要なんだ。

もっと怖くない世界があるはずだ。

洗脳から逃げて、その世界にたどり着こう。

どこへもいけない。
どこへ行っても、嫌な感じはついてくる、今まではそうだった。
嫌な感じというのは、知らない人の目線だ。
拒絶されたくない。
いきなり踏み込まれたくない。

独自の考えでいられたらいい。

目線になぜ怯える。
見なくていい。
見たいんだけどね。
いろいろな顔を見たい、だけど、認識されるのが嫌だ。
死者の目であれたらいい。

関係ある人、ない人で線を引いているのだろうか。
そんな考えはいい。生命力をとりもどせ。
落ち着け、かつ生命力は失うな。

どこへ行ったらいいのだろう。安息の地はどこだ。

いちいち頭で考えるべきことではない。俺の頭の中は終わっているから、そこに持っていってしまうより、より浅いところで解決したい、だけど、確認は必要だ。

難しい。

平和になればなるほど、人は神経質になるんだろうか

楽に生きるとは、適度にテキトーであることがよいのだろう。
笑って生きるような、明るく生きるような。

ネガティブな意見を否定できない自分がいた。馬鹿だ。
100%安全なことなんてない。
そりゃあ、重箱の隅をつつきまくれば、いくらでも不安材料は探せるさ。
だけど、そこで開き直って、安全だと思えるから前に進めるんだ。

頭がいいとは、面白いことを自分で追える力だ。
他人にすごいと褒められることを追うのではない。
自己完結する面白さを追うこと。
マンガをひたすら読んでいた時、それに近い感覚があった。

他人のすごい、を追いかけるのはやめよう。
愉快なことを、心が楽しくなることを追うんだ。

日記っぽくなくなっている。
観念ばかりじゃだめさ。

今日は本を読んで、将棋して、ブックオフに行って一日が終わってしまった。

ブックオフに行く途中、川を見に行った。
なんだか今の自分に合っている気がして見に行ったんだけど、暗くなりすぎててよくわからなかった。
そして、随分水の量が少ないと思った。

チャットを我慢した。偉い。
ツイッターで自分の意見を晒そうという気持ちに襲われる。

やめろ。自己洗脳だ。

同じ道ばかり通っている。思考も、実際の人生も。
悲しみにくれるな。そういう、悲しいようなことはなんのために言うんだ。

暗くなると光る星のシールのようなものが、自分の部屋の天井や壁に貼ってある。

それが悲しかった。なぜだか健気で。